新しき年の始に思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか 道祖王
新《あらた》しき年《とし》の始《はじめ》に思《おも》ふどちい群《む》れて居《を》れば嬉《うれ》しくもあるか 〔巻十九・四二八四〕 道祖王
天平勝宝五年正月四日、石上《いそのかみ》朝臣|宅嗣《やかつぐ》の家で祝宴のあった時、大膳大夫|道祖王《ふなとのおおきみ》が此歌を作った。初句、「あらたしき」で安良多之《アラタシ》の仮名書の例がある。この歌は、平凡な歌だけれども、新年の楽宴の心境が好《よ》く出ていて、結句で、「嬉しくもあるか」と止めたのも率直で効果的である。それから、「おもふどちい群れてをれば」も、心の合った親友が会合しているという雰囲気《ふんいき》を籠《こ》めた句だが、簡潔で日本語のいい点をあらわしている。類似の句には、「何すとか君を厭《いと》はむ秋萩のその初花《はつはな》のうれしきものを」(巻十・二二七三)がある。