この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足ひに  大伴家持

この見《み》ゆる雲《くも》ほびこりてとの曇《ぐも》り雨《あめ》も降《ふ》らぬか心《こころ》《だら》ひに 〔巻十八・四一二三〕 大伴家持

 天平感宝元年|閏《うるう》五月六日以来、旱《ひでり》となって百姓が困っていたのが、六月一日にはじめて雨雲の気を見たので、家持は雨乞《あまごい》の歌を作った。此はその反歌で、長歌には、「みどり児の乳乞《ちこ》うがごとく、天《あま》つ水仰ぎてぞ待つ、あしひきの山のたをりに、彼《こ》の見ゆる天《あま》の白雲、海神《わたつみ》の沖つ宮辺《みやべ》に、立ち渡りとの曇《ぐも》り合ひて、雨も賜はね」云々とあるものである。「この見ゆる」の「この」は「彼の」、「あの」という意である。「ほびこり」は「はびこり」に同じく、「との曇り」は雲の棚びき曇るである。「心足らひに」は心に満足する程に、思いきりというのに落着く。一首は大きくゆらぐ波動的声調を持ち、また海神にも迫るほどの強さがあって、家持の人麿から学んだ結果は、期せずしてこの辺にあらわれている。