垂乳根の母が養ふ蚕の繭隠りこもれる妹を見むよしもがも  柿本人麿歌集

垂乳根《たらちね》の母《はは》が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りこもれる妹《いも》を見《み》むよしもがも 〔巻十一・二四九五〕 柿本人麿歌集

 同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼っている蚕《かいこ》が繭《まゆ》の中に隠《こも》るように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、というので、この繭のことを云うのも日常生活の経験を持って来ている。蚕に寄する恋といっても、題詠ではなく、斯《こ》ういう歌が先ず出来てそれから寄[#レ]物恋と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみというよりも、全体が実生活を離れず、特に都会生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。巻十二(二九九一)に、「垂乳根の母が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りいぶせくもあるか妹にあはずて」というのがあり、巻十三(三二五八)の長歌に、「たらちねの母が養ふ蚕の、繭隠り気衝《いきづ》きわたり」というのがあるが、やはり此歌の方が旨い。「いぶせく」では続きが突如としても居り、不自然で妙味がないようである。