垂乳根の母が手放れ斯くばかり術なき事はいまだ為なくに  柿本人麿歌集

垂乳根《たらちね》の母《はは》が手放《てはな》れ斯《か》くばかり術《すべ》なき事《こと》はいまだ為《せ》なくに 〔巻十一・二三六八〕 柿本人麿歌集

 人麿歌集出。正述心緒《ただにおもいをのぶ》という歌群の中の一つである。一首の意は、物ごころがつき、年ごろになって、母の哺育《ほいく》の手から放れて以来、こんなに切ないことをしたことはない、というので、恋の遣瀬無《やるせな》いことを歌ったものである。これは、男の歌か女の歌か字面だけでは分からぬが、女の歌とする方が感に乗ってくるようである。術《すべ》なき事というのは、どうしていいか為方《しかた》の分からぬ気持で、「術《すべ》なきものは」、「術《すべ》の知らなく」、「術《すべ》なきまでに」等の例があり、共に心のせっぱつまった場合を云っている。下の句の切実なのは読んでいるうち分かるが、上の句にもやはりその特色があるので、此上の句のためにも一首が切実になったのである。憶良《おくら》が熊凝《くまこり》を悲しんだものに、「たらちしや母が手離れ」(巻五・八八六)といったのは、此歌を学んだものであろう。なお、「黒髪に白髪《しろかみ》まじり老ゆるまで斯《かか》る恋にはいまだ逢はなくに」(巻四・五六三)という類想の歌もある。第二句、「母之手放」は、ハハノテソキテ、ハハガテカレテ等の訓もあるが、今|契沖《けいちゅう》訓に従った。