ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾き 柿本人麿歌集
ぬばたまの夜《よる》さり来《く》れば巻向《まきむく》の川音《かはと》高《たか》しも嵐《あらし》かも疾《と》き 〔巻七・一一〇一〕 柿本人麿歌集
柿本人麿歌集にある、詠[#(メル)][#レ]河[#(ヲ)]歌である。一首の意は、夜になると、巻向川の川音が高く聞こえるが、多分嵐が強いかも知れん、というので、内容極めて単純だが、この歌も前の歌同様、流動的で強い歌である。無理なくありの儘に歌われているが、無理が無いといっても、「ぬばたまの夜《よる》さりくれば」が一段、「巻向の川音高しも」が一段、共に伸々とした調《しらべ》であるが、結句の、「嵐かも疾き」は、強く緊《し》まって、厳密とでもいうべき語句である。おわりが二音で終った結句は、万葉にも珍らしく、「独りかも寝む」(巻三・二九八等)、「あやにかも寝も」(巻二十・四四二二)、「な踏みそね惜し」(巻十九・四二八五)、「高円の野ぞ」(巻二十・四二九七)、「実の光《て》るも見む」(巻十九・四二二六)、「御船《みふね》かも彼《かれ》」(巻十八・四〇四五)、「櫛造る刀自《とじ》」(巻十六・三八三二)、「やどりする君」(巻十五・三六八八)等は、類似のものとして拾うことが出来る。この歌も前の歌と共通した特徴があって、人麿を彷彿《ほうふつ》せしむるものである。