あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも  柿本人麿

あかねさす日《ひ》は照《て》らせれどぬばたまの夜《よ》《わた》る月《つき》の隠《かく》らく惜《を》しも 〔巻二・一六九〕 柿本人麿

 日並皇子尊《ひなみしのみこのみこと》の殯宮《あらきのみや》の時、柿本人麿の作った長歌の反歌である。皇子尊《みこのみこと》と書くのは皇太子だからである。日並皇子尊(草壁皇子《くさかべのみこ》)は持統三年に薨ぜられた。
「ぬばたまの夜わたる月の隠らく」というのは日並皇子尊の薨去なされたことを申上げたので、そのうえの、「あかねさす日は照らせれど」という句は、言葉のいきおいでそう云ったものと解釈してかまわない。つまり、「月の隠らく惜しも」が主である。全体を一種象徴的に歌いあげている。そしてその歌調の渾沌《こんとん》として深いのに吾々は注意を払わねばならない。
 この歌の第二句は、「日は照らせれど」であるから、以上のような解釈では物足りないものを感じ、そこで、「あかねさす日」を持統天皇に譬《たと》え奉ったものと解釈する説が多い。然るに皇子尊薨去の時には天皇が未だ即位し給わない等の史実があって、常識からいうと、実は変な辻棲《つじつま》の合わぬ歌なのである。併し此処は真淵《まぶち》が万葉考《まんようこう》で、「日はてらせれどてふは月の隠るるをなげくを強《ツヨ》むる言のみなり」といったのに従っていいと思う。或はこの歌は年代の明かな人麿の作として最初のもので、初期(想像年齢二十七歳位)の作と看做していいから、幾分常識的散文的にいうと腑《ふ》に落ちないものがあるかも知れない。特に人麿のものは句と句との連続に、省略があるから、それを顧慮しないと解釈に無理の生ずる場合がある。