あしひきの山の雫に妹待つとわれ立ち沾れぬ山の雫に 大津皇子
あしひきの山《やま》の雫《しづく》に妹《いも》待《ま》つとわれ立《た》ち沾《ぬ》れぬ山《やま》の雫《しづく》に 〔巻二・一〇七〕 大津皇子
大津皇子が石川郎女《いしかわのいらつめ》(伝未詳)に贈った御歌で、一首の意は、おまえの来るのを待って、山の木の下に立っていたものだから、木からおちる雨雫にぬれたよ、というのである。「妹待つと」は、「妹待つとて」、「妹を待とうとして、妹を待つために」である。「あしひきの」は、万葉集では巻二のこの歌にはじめて出て来た枕詞であるが、説がまちまちである。宣長の「足引城《あしひきき》」説が平凡だが一番真に近いか。「足《あし》は山の脚《あし》、引は長く引延《ひきは》へたるを云。城《き》とは凡て一構《ひとかまへ》なる地《ところ》を云て此は即ち山の平《たひら》なる処をいふ」(古事記伝)というのである。御歌は、繰返しがあるために、内容が単純になった。けれどもそのために親しみの情が却って深くなったように思えるし、それに第一その歌調がまことに快いものである。第二句の「雫に」は「沾れぬ」に続き、結句の「雫に」もまたそうである。こういう簡単な表現はいざ実行しようとするとそう容易にはいかない。
右に石川郎女の和《こた》え奉った歌は、「吾《あ》を待つと君が沾《ぬ》れけむあしひきの山《やま》の雫《しづく》にならましものを」(巻二・一〇八)というので、その雨雫になりとうございますと、媚態を示した女らしい語気の歌である。郎女の歌は受身でも機智が働いているからこれだけの親しい歌が出来た。共に互の微笑をこめて唱和しているのだが、皇子の御歌の方がしっとりとして居るところがある。